終話-1

※この物語は様々な人の事実が混ざっています

 

思えばこの10年間の月日は長くも短く感じる。

 

 

財布を落とし今日のタバコにも困り果てていたが、たまたま給料袋から取り出しそこら辺に置いておいた500円玉を発見し それを握りしめコンビニに向かう足取りはまさに動く歩道

 

 

ありがてぇ…

 

 

もはや日銭で生きている

 

 

ニコチン中毒者の極み。

それもまた一興。

 

 

現在令和2年、西暦2020.4月初頭

 

「今日もマスク売り切れてる…」

世界中は伝染病に苦しみマスク1つ買うのに大金を払わなければならない。

国から1世帯につき、2つのマスクが支給された。金額にして20億以上動いてるのではなかろうか、国はケチだと罵る記事は後を経たないがこの国がこの病に対して他でどれだけお金を掛けているのかを考えない低能な人間は後をたたない。

 

北朝鮮は感染者0です!

の記事は 我が国がバイオテロを仕掛けました!という意味があるのでは無いかと勘ぐってしまうくらいの厨二病を発症する俺だ。

もし本当にそうならこの記事を上げた後に俺は暗殺されている。

 

「10年前はまさかこんな世界恐慌になるとは思いもよらなかったな…」

 

 

リーマンショックを超えた。

事実だ。株はバンバン下がり経営者は頭を抱えロックダウン、世界各地で首脳陣が緊急会見。

ビットコインも40万を下回りとにかく地球の経済がウィルスによって滅ぼされそうになっている。漫画の世界が現実に起きている。

空売りしまくった人は富を得て、14億の資産を80万まで損害を出した企業家もいる。

 

因みに引越しのアルバイトを1日で辞めたらしい。

 

 

 

この世が終わりそうな絶望感を感じるのと、この世が実際に終わりそうになるのはこれ程までに感じ方が違うのかと思う。

 

 

実感がわかない

 

 

それは俺が今経営者では無いからだろう。

それは不幸中の幸いなのかも知れないが 今の世の中に幸せはないのかも知れない。

いや、もう10年前に幸せの形を見失ってしまったのかも知れない。

 

 

 

 

絶望とは何か

 

 

 

 

それは何かを失う事だと思う

期待感や所有実感があればある程にその度合いは高くなる。

 

 

依存するには お金、時間、感情の度合いと聞いた事がある。依存しきった物を失う事はもはや生きていく力を失う事に等しいのかも知れない。

 

 

 

しかし、現に今 俺は500円玉で高揚し愛してやまないタバコを買いに行こうとテンションは宇宙まで届きそうなくらいに昂っているのだ。

 

 

そう、厨二であると同時に極度のアホなのだ。

 

そんな俺が10年間で失った物と失って気付いた大切さと何故、俺が今 生きていられるかのお話をコンビニに行って一服するまでに振り返る。

 

 

 

 

 

因みにコンビニまでは歩いて2分だ